「ピープルアナリティクス」という言葉を聞くと、何が頭に浮かぶでしょうか。組織サーベイをしたり、AIを使って予測をしたりするイメージが出てくるかもしれません。例として、私が過去に取り組んだ具体的な分析テーマをあげてみましょう。
- 人事異動パターンの抽出と配置施策の検討
- 従業員エンゲージメントと管理職特性の関係分析
- 離職・休職の早期予測
- ハイパフォーマーの特徴分析
- 従業員スライビングの向上要因分析
- 男女賃金格差の要因分析
- スキルの現状把握と成長課題分析
配置から人材育成まで多岐にわたりますが、人事課題の発見や施策の意思決定を支援する取り組みと言えます。これを踏まえて、ピープルアナリスト(人事データ分析者)の役割を、私は次のように定義しています。
人事の疑問やアイデアをデータ分析によって客観的に確かめ、人事施策の改善や組織全体のパフォーマンス向上に貢献する。特に、人事施策の意思決定を支援することが期待されている。
その一方で、ピープルアナリティクスのプロジェクトの現場を経験していると、これと異なる印象を持っています。少なくとも、ロジカルに意思決定を支援するバリバリの社内コンサルタントという風には見えません。
ロジックで意思決定の道筋を立てるというよりも、データを使ってHR内の対話を促すことが隠れたミッションのように感じています。端的に言うと、ピープルアナリティクスはHR内の組織開発そのものではないか、と考えています。
この記事では、私の現場経験を通して、この着想に至った経験を振り返っていきます。
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あるプロジェクトでの失敗
私がピープルアナリティクスを始めたころ、ある意欲的なプロジェクトにアサインされました。クライアント企業のハイパフォーマーの特徴を捉えて人材育成施策につなげるというものでした。
クライアントの人事マネジャーが発案したテーマで、活動予算もついた状況でした。普通に考えれば、経営とHRが一体となった取り組みに見えます。
実際、プロジェクトは順調に進み、最終報告会がやってきました。定例会の倍近い人数が会議室に押しかけ、関心の高さがうかがえました。しかし、私たちからの報告が終わってQAセッションに入ると、クライアントの一人がピリッとした様子でこう発言したのです。
この「ハイパフォーマー」って誰が決めたの?
発言者はHR部門の上級幹部の一人で、キックオフや定例会には参加していない方でした。場の空気が一瞬にして重くなったのを憶えています。そして、この発言をきっかけに人事メンバー間でゴリゴリな議論が始まり、報告会どころではなくなってしまったのです。
もちろん、ハイパフォーマーの定義は私たちだけで決めたものではありませんでした。人事マネジャーのアイデアを元に、プロジェクトの初期に合意されたものでした。しかし、合意したと思っていたのは私たちだけだったのです。
件の上級幹部は最後に「誰がこんな分析をベンダーにやらせたんだ。全くの無駄だった」といい、プロジェクトの幕が下りました。
さて、私たちは何を間違っていたのでしょうか。
一見すると、データ分析プロジェクトのセオリーである「ビジネス課題に根差した分析テーマを選ぶ」という原則を守っているように見えます。人事管理職の思いからスタートし、ハイパフォーマーの定義を言語化した上で数量化して、回帰の問題に落とし込むことができていたからです。
しかし、その立ち上げとプロセスに問題がありました。ただ1度のミーティングでテーマを決めてしまい、後は進捗やQAに関するコミュニケーションしかとっていませんでした。
つまり、私たちは分析の目的や問題設定がプロジェクトを開始した時点で固定されたと認識して分析を進めていたのですが、実際はそうではなかったのです。
目的を急ぎ足に決めると失敗する
データ分析に取り組むとき、分析のビジネス上の目的と重要指標を具体化することは重要なことです。これは、ビジネスデータサイエンスに取り組んでいる多くの方の胸に刻まれた原則ではないでしょうか。
例えば、ビジネスデータサイエンスの名著「Lean Analytics」では、次のように言い切っています。
アナリティクスとは、ビジネスにおいて重要な指標を追跡することである。こうした指標が重要なのは、ビジネスモデルに関係するからだ。つまり、お金をどこから得るのか、コストがどれだけかかるのか、顧客がどれだけいるのか、顧客獲得戦略がどれだけ有効なのかと結びついている。
出典: Lean Analytics, アリステア・クロール 他 著
この原則に従えば、データ分析を開始する前に目的や指標などの問いを固定した上で、一旦分析結果を出すというのは自然なことに見えます。その意味で、先ほど挙げた失敗事例は、セオリー通りに進めたように見えます。
しかし、人事分野においては、問いを固定することが極めて難しいという特徴があります。メンバーが表面上合意していたとしても、深層心理では違う方向を向いていることがしばしばあるのです。
先の例でいえば、結果的にメンバーの頭に浮かぶハイパフォーマー像が大きく異なっていました。私たちはそれを見逃していました。
では、なぜ人事分野では問いを固定するのが難しいのでしょうか。これまでの経験から、次のような背景が見えてきました。
- 採用・配置など担当している業務によって課題が異なる。
- 人には多面的な捉え方があり、思い浮かぶ理想像が異なる。
- 組織の過去・現在・未来のどこに目を向けるかが異なっている。
そして、これらが交差することにより、人事担当者は「そもそも人を単一な指標で測ることは難しい」という感覚を持っています。
それゆえ、無理に目的を定めようとしたり、多数決的に目的変数の指標を決めたりすると、どこかで行き詰ってしまうのです。これは、売上や粗利を追いかけているマーケティング部門・事業部門とは全く異なるものです。
この事例のような失敗をいくつか繰り返した後、私はようやく「人事では問いを固定することが難しい」ということに気づきました。
少しずつ目的を見出すというアプローチ
そこで、ピープルアナリティクスを進める際の工夫を二つ編み出しました。
一つ目の工夫は、ミーティングで結論を急がず、ひたすら傾聴するという方法を取ることです。こそうすると、ミーティングの後半にゆるい「テーマ感」が見えてくることがあります。
そして、それを丁寧に拾い上げて、少しずつ分析を進めながら、本音の課題に少しずつ迫っていきます。メンバーの関心の種をデータで確認しつつ、それを元にメンバー間の対話促すという方法です。これが第二の工夫です。
これらの工夫をまとめると「少しずつ目的を見出す」ということになります。このアプローチを採用するようになり、徐々にうまくいくようになりました。
ひとつ事例をあげてみましょう。
キャリアパスの話から配置実態の調査へ
中堅製造業A社でのピープルアナリティクス支援事例で、早期登用者とそのキャリアパスの関係を調査するという案件でした。
端的にいうと、ミドルマネジャーの育成につながる組織内経験はあるのか?というのが分析上の問いでした。このテーマは、人事的に見ると、選抜型のタレントマネジメントを行うための布石であるように見えます。
コンサルタント的な視点に立つと、「人事戦略は?」「採用から配置・育成に至る人事のバリューチェーンはどうあるべき?」「配置の意思決定構造を変革すべきか?」といった問いが頭に浮かぶかもしれません。
しかし、この段階でこうした議論をしても、まずうまくいきません。実際、本セッションに同席していた別のコンサルタントが「人事戦略策定ワークシート」を提示したものの、話は進みませんでした。
そこで、私は分析者として「早期登用者とそのキャリアパスの関係を知りたい」という人事担当者の疑問に素直に答えることにしました。
ただし、結論と提言をシャープに出すのではなく、早期登用者の分布や組織別の配置実態など、多面的に現在地が分かるようなものを準備していきました。その上で、異動履歴からキャリアパスの特徴を抽出するという人事担当者の疑問にも答えるのです。
こうした分析結果をもって次回ミーティングに臨むと、早期登用者の話よりも、配置や異動実態に関心があることが見て取れました。そこで、自然な流れでこのような問いを投げ込んでみたのです。
今、異動や配置はどのように決めていらっしゃいますか?
この瞬間に場が一瞬固まったのを憶えています。暫しの沈黙の後、クライアントの人事担当者の一人が重い口を開いて、こういったのです。
実は人事部門では異動や配置に関与していません。事業部内で決めています。もちろん、人事が部門長の相談に乗ることもあるのですが…。
ロジカルに考えると、人事の手の内にない配置の意思決定をイシューにして人材育成の課題を深堀りするのは、施策に繋がりにくい印象を受けます。しかし、それでも異動配置に関心があったのはなぜでしょうか。
実は、事業部門主導で配置やミドルの育成を行っているという実態があり、それを人事として変えていきたいという思いがあったのです。その背景には、硬直化しがちなキャリアパスや労働負荷の偏りといった課題がありました。
したがって、人事から見えていない配置の実態をデータから見ておきたい、というのが隠れた分析テーマだったのです。そして、ファクトを元に人事と事業部門が課題を深堀りするというのが、分析の真の出口でした。
これは、初めにいくら話を詰めても出てこなかった観点ではないかと思います。
データは対話のメディアになる
このように、すぐに目的や結論に飛びつかず、対話と分析を回しながら少しずつ目的を見出すことがピープルアナリティクスのポイントだと私は考えています。
もっと言えば、人事ではデータが対話を促すメディアになるのではないでしょうか。

この視点を持って過去を振り返ってみると、うまくいったピープルアナリティクスのプロジェクトは概ね上の図の様なプロセスを経ていたように思います。
つまり、プロジェクトの立ち上げ段階でシャープなイシューを建てるのではなく、仮説の種を見つけてデータを分析し、それを一つのファクトとして対話をしながら次の仮説の種を探す。このような進め方です。
この進め方は、マーケティングや製造などのKPIベースで議論しているチームから見ると、柔らかすぎるように見えることでしょう。また、リーンスタートアップ的にMVPを練り上げているときも同様です。
しかし、過去の経験からすると、人事分野ではKPIをガチガチに固めるよりも、データを対話のメディアとして活用する方がワークします。
人事がデータ分析に取り組む意義
ではこのような活動にはどのような効用があるのでしょうか。
それは、人事担当者が自組織やHR自身の理解を深めるのに役立つということです。
人は組織は多面的であり、ひとつの指標で捉えることはできません。しかし、多くの従業員がいる中で、一人一人が置かれた状況を把握したり、人の相互作用で成り立つ組織のふるまいを理解するのは大変なことです。そのため、データというファクトの断片を通じて、俯瞰的に理解することは、人事担当者や人事管理職にとって有益です。
また、人事業務は採用、配置、育成、労務管理など機能別に分かれていることも珍しくなく、縦割りになりがちなことも構造的な特徴です。そこで、データという共通言語をもって実態を見ながら対話をすることで、お互いが置かれた状況をフラットに理解できるようになるわけです。
そして、「データ」という担当と切り離された情報を全員で見ることで、立場やポジションの違いを超えて意見を出しやすくなります。つまり、ピープルアナリティクスを通して人事の組織が変わっていくのです。
ピープルアナリティクスは組織開発だ
従来、ピープルアナリティクスは「より正しい意思決定のための分析」と捉えられることが多かったように思います。しかし、現場で私が経験してきたのは少し違うものでした。
データを前にすると、それまで暗黙のうちに持っていた組織への理解や前提が表に出てきます。「なぜこうなっているのだろう」「実際には誰が決めているのだろう」「私たちは何を目指しているのだろう」。そこから対話が生まれ、問いそのものが変わっていきます。
そう考えると、ピープルアナリティクスとは、単に人事データを分析する活動だとは言えません。データを媒介にして、組織が自分自身を観察し、対話し、理解を深めていく営みなのです。
このことを実感し、私はピープルアナリティクスは組織開発であると考えています。
その意味で、良いピープルアナリティクスとは、良い答えを出すことではなく、組織がより良い問いを持てるようになることなのかもしれません。
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