AIによる業務の自動化が進む中、エントリーレベルの仕事をどう扱うかという議論が増えてきました。
定型的な情報収集や資料作成、データの整理といった仕事は、生成AIが得意とする領域です。これまで新人や若手が担当してきた仕事をAIに置き換えれば、短期的には生産性が上がり、人件費を抑えることができます。また、AIのコーディング能力が飛躍的に向上し、アソシエイトITエンジニアの仕事が減っているという話も見聞きするようになりました。
これらは、AI投資の効果を説明する上でも、わかりやすい成果になるはずです。その一方で、AI導入で仕事を減らすことによって、数年後に必要となる人材まで失う可能性もあります。
DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビューに掲載された『AI導入で「新人」を減らす企業は、次世代リーダーを失う』は、この問題を正面から取り上げています。

こちらの記事によると、ある企業では、約200人の新人を対象としたプログラムを廃止したことで、すぐにコスト削減効果が表れました。しかし、その1年半後、若手が担っていた仕事をシニアマネジャーが引き受けるようになり、次のディレクター候補もほとんどいないことがわかったというのです。
コスト削減の効果はすぐに見えるわけですが、人材育成への影響は遅れて表れるというのがこの話のポイントのように思います。この記事では、こうした状態を「能力債務(capability debt)」と呼んでいます。この考え方は、AI時代の人材戦略を考える上で非常に示唆的ですね。
ただし、問題は単に「新人を減らしてはいけない」ということではないように思います。考えるべきは、新人が担っていた仕事をなくすことで、どのような能力形成のパスが消えるのかという点です。
このレターでは、この点を掘り下げます。
新人の仕事は能力形成の場でもあった
新人が担当する仕事は、必ずしも付加価値の高いものばかりではありません。議事録を取り、情報を整理することからはじまり、会議資料のたたき台を作る、顧客からの問い合わせに答えるなど様々です。
技術職であれば、リードエンジニアの仕事の一部を手伝ったり、レビューに参加したりということもあるでしょう。リーダーは自分でやったほうが早いとわかりつつも、物量をこなすために新人に意図的に仕事を振るのです。
しかし、こうした仕事は人を育てる重要なピースでもありました。
仕事を繰り返す中で、標準的なパターンと例外の違いを知る。上司や先輩からレビューを受け、判断の背景を学ぶ。顧客や他部門とのやり取りを通じて、組織の力学や仕事の進め方を理解する。時には小さな失敗をして、そこから立て直す方法を身につける。
つまり、新人の仕事は成果を生み出すための作業であると同時に、将来必要となる判断力や暗黙知を育てる場でもあったわけです。
AIが作業を代替するとき、削減されるのは工数だけではありません。その仕事を通じて得ていた経験まで一緒に失われるのです。
つまり、AI時代には、仕事の中に埋め込まれていた能力形成の仕組みが壊れるという新たな問題が生まれます。この問題が組織の水面下で積み重なっていき、海面から頭をのぞかせたときに能力債務が現実のものとなります。
能力債務はAIによって生まれたわけではない
能力債務とは、短期的な合理性を優先することで、将来必要となる能力の形成機会を失い、組織の中に蓄積していく負債だと捉えることができます。
ただ、私はこの問題はAIによって突然生まれたものではないように思います。
企業はこれまでも、アウトソーシング、BPO、子会社化、工場の海外移転、事業の売却などを通じて、業務を組織の外へ出してきました。IT企業がハードウェア事業や半導体事業を切り離したケースも、同じ構造にあるように思います。
もちろん、それぞれの意思決定には、その時点での合理性がありました。資本効率を高める、固定費を変動費化する、競争力のある事業へ経営資源を集中するといった判断です。後から見て重要な能力を失ったように見えても、当時の判断が明らかに間違っていたとは限りません。
一方、業務を外へ出すことは、その業務から生まれていた知識や人材の育成パスも手放すことになります。企業の境界を動かす意思決定には、常に能力債務のリスクが含まれているのです。
では、AIはそれまでの取り組みと何が違うのでしょうか。それは、変化の範囲が広く、速度が速いことだと私は考えます。
従来のアウトソーシングは、業務や組織、拠点といった比較的大きな単位で行われてきました。これに対して生成AIは、資料の要約、問い合わせへの回答、分析結果の解釈といったタスク単位で、人が担う範囲を変えていきます。しかも、その変化は現場で日々進みます。
AIは能力債務を生み出したのではなく、能力債務が蓄積する速度を加速させるとともに、その先の終着点が見えにくいという特徴があります。エンタープライズAIは驚く速さで浸透していますが、それが最終的にどういった組織を形成するのかという問いには、明確な答えがまだありません。
仕事をAIにアウトソースすることの意味
AIによる能力債務の実態を捉えるためには、AIが仕事をどう変えていくのかという問いから考える必要があります。端的に言うと、AIと人の役割の話です。
AIと人間の役割を考える際には、Human-in-the-loop(HITL)、Human-on-the-loop(HOTL)、Human-out-of-the-loop(HOOTL)という整理があります。
HITLでは、人間が個々の判断や実行に関与します。HOTLでは、AIが自律的に処理し、人間はその動きをモニタリングします。HOOTLになると、人間は通常の業務ループから外れます。これら3つのアプローチは、業務特性やビジネスモデルによって取るべき形が変わることに注意しなくてはなりません。
ここで、AIネイティブ組織が目指すであろうHOOTLに着目し、守りと攻めの観点からAIへの仕事の渡し方と能力の関係を考えてみます。以後、従来業務を自動化することを守り、AIを前提に事業を再設計することを攻めとして考えていきます。

従来の業務にAIを組み込む場合(守り)
従来の仕事の一部をHOOTLへ移すというのは、その仕事をAIへアウトソースしたのと同じ状態だと考えられます。そこで考えるべきは、AIがその仕事を実行できるかどうかだけではなく、次の問いと向き合わなくてはなりません。
その仕事を人が遂行する能力を、自社の中から失ってよいのか。
この問いに対して、力強くYesと判断できるのであれば、業務のHOOTL化には合理性があります。少なくとも、そう判断した時点では経営戦略として合意したということになります。
そうではなく、競争優位や将来の事業構想に必要な能力であるにもかかわらず、コスト削減だけを理由にループから人を外すのであれば、能力債務を積むことになるのは明白です。
AIを戦略的にビジネスモデルに組み込む場合(攻め)
上の議論とは別に、戦略的にビジネスモデルへAIを組み込む場合はどうでしょう。仕事の置き換えでなく、AIを前提とした事業設計をゼロベースで再構築することが求められるのは、どのような場面でしょうか。
一つは、HOOTLの仕組みそのものが競争優位になる場合です。他社には作れない自動化の仕組みを構築し、それを継続的に改善できるのであれば、競争力の源泉は人による個々の実行から、仕組みを設計して進化させる能力へ移ります。これは、一般にオペレーショナル・エクセレンスと呼ばれていたものの延長にあるように見えます。
もう一つは、HOOTLの仕組みをエコシステムとして形成し、事業をスケールできる場合です。インターネットの広告配信を効率化したアドテクのように、アルゴリズムやプラットフォーム、ネットワーク効果が価値を生み出すビジネスでは、人が一件ずつ処理しないこと自体が事業モデルの前提になります。
いずれの場合も、人の能力が不要になるわけではありません。仕事を実行する能力から、システムを設計し、改善し、マネジメントする能力へ軸が移るということです。
どの能力を組織に残すか
ここまでで見てきたように、AIへの仕事の渡し方は様々であり、それによって組織の能力がどう変化するかもまた、変わってくることが分かります。したがって、どの能力を手放し、どの能力を組織の中に残したかが重要な論点になります。
「AI時代に必要なスキル」から考え始めない
では、企業は能力債務にどう対応すればよいのでしょうか。
冒頭の記事では、過去3年間に自動化したエントリーレベルの業務と、そこから生まれていた能力を照らし合わせる「能力債務の監査」が提案されています。AIなしで仕事を遂行できる人はいるか、AIの出力を評価できる人はいるか、消えてしまった能力開発の方法は何か、と問うものです。