Googleトレンドでピープルアナリティクス関連ワードの推移を調べてみると、2025年8月に急増していることが分かりました。

急増の確たる背景はつかめていませんが、①2025年8月2日にEU AI法が適用されてHR分野がハイリスク分野になりガバナンス強化が求められたこと、②HRテクノロジー大手企業のAI分野への大型M&Aがあったこと、③同時期にカンファレンスや出版があったことなどがあると考えられます。

人事分野にアナリティクスを取り入れる動きは少しずつ伸びていましたが、昨年度よりそのレベルが一段引き上げられたということでしょうか。私としてはとてもポジティブな動きだと感じてます。

ピープルアナリティクスは人事に何をもたらすのか

その一方で、改めて「何のためにピープルアナリティクスを導入するのか」という問いと向き合ってみると、様々な答えがあります。

例えば、「データで人事を高度化する」「意思決定をエビデンスベースでする」という定義。これは正しいですが、十分でないように感じています。

多くのプロジェクトを実践し、さらに様々な人事部門を伴走支援してきた私は、次のような一次回答を持っています。

ピープルアナリティクスが人事にもたらす本質的な価値は、人事自身の組織学習の実現である。

これは、ピープルアナリティクスが単に機能的な課題解決だけを担うのではなく、人事という組織に影響を与えることを意味しています。

ここを出発点として、ピープルアナリティクスが人事や組織全体に何をもたらすのかという問いと向き合っていきます。


この記事の構成

  1. 第1段階|人事の組織開発——問いを立てる主体へ
  2. 第2段階|戦略人事の実現——RBVとダイナミック・ケイパビリティ
  3. 第3段階|人的資本戦略の転換——経営と人事が連動する
  4. ピープルアナリティクス3段階の構造的整理

第1段階|人事の組織開発

ピープルアナリティクスの第一段階は、人事が仮説検証のスタイルを取り入れたときにはじまると私は考えています。

例えば、「なぜ離職率が上がっているのか」「どの部門でエンゲージメントが下がっているのか」という疑問を、経験と勘ではなくデータで確かめるアプローチです。

そして、自分たちが実施する人事施策自体を仮説と見立て、その効果を検証していく。そこで問題が見つかれば、なぜかと問いながら、施策を軌道修正していくわけです。

こうした一連の活動は、仮説検証サイクルとして理解することができます。

仮説検証のためのDDDIサイクル

これにより、人事が「問いを立て、データを用いて自ら検証する主体」に変わる。つまり、私はピープルアナリティクスは人事を学習する組織にするためのアプローチだと考えています。

こうした転換の前に、多くの組織で似たような声を聞きます。「完璧なデータが揃ってから」「分析できる人材がいない」——しかしこれらは多くの場合、技術の問題ではなく、問いを立てることへの慣れのなさから来ています。

この壁を乗り越えるコツは、普段の会話の中で話している疑問をデータで調べてみるという小さな一歩を踏み出すことです。例えば、「若手のエンゲージメントが下がっているのでは?」という疑問があれば、実際にデータを見て確かめてみる、という具合です。こうした行動を積み上げていく先に、仮説検証への道が拓けます。

一方、学習する組織に変化する過程で、人事内でより多くの横断的な対話が発生してきます。なぜなら、人事が取り組む課題――人と組織をより良い状態にすること――を目指そうとすれば、採用や育成といった機能を跨いだ問題解決が必要だからです。

ピープルアナリティクスに取り組むと、データという共通言語を通して、プロジェクトメンバーが担当の垣根を越えて課題を捉えようとするようになります。これは人事の組織開発に他なりません。

このように、ピープルアナリティクスの活動そのものが人事に前向きに変化させ、それが次に示す第2段階への入口を切り開きます。

第2段階|戦略人事の実現

人事において組織学習が定着すると、ピープルアナリティクスの価値は人事部門を超えて、組織全体に広がっていきます。なぜなら、人事という組織は全社の組織活動そのものを良い状態へ導く役割であるからです。

仮説検証を回しながら人事施策を組織に展開して効果を上げる。あるいは、事業部門とデータを用いた対話を行いながら組織の問題解決に取り組むなど、人事の活動にデータが入り込んでいきます。まさに、戦略人事の実現といってもよいでしょう。

では、こうした取り組みは経営の文脈で言えば、どのような戦略に対してどういった効果をもたらすのでしょうか。私は、ビジネスの状況に応じて2つの異なる方向性で、ピープルアナリティクスが機能すると考えています。

成長期:特殊人的資本の蓄積(RBV)

事業が成長軌道にある場合、仕組みと並行して人と組織を整えていかなければなりません。そのため、多くの場合、市場とシェアが拡大するにつれてその事業の人的資本は拡大していきます。

このとき、事業の競争優位を築くためには、競合が模倣できない組織固有のスキルや知識、経験を戦略的に積み上げることがポイントになります。これを一般に「特殊人的資本」と呼びます。

特殊人的資本をはじめとする固有の資産を積み上げて競争力を維持する戦略は、リソース・ベースト・ビュー(RBV)として知られています。

この局面のピープルアナリティクスは、タレントプールの形成、重要ポジションの特定、特殊スキルの分布把握と成長支援など、持つべき特殊人的資本の特定と増強に貢献することになるでしょう。

立ち上げ期・停滞期:探索と柔軟性(ダイナミック・ケイパビリティ)

一方、事業が立ち上がった直後や、それとは逆に事業が安定軌道を超えて停滞を始めた場合、人事戦略自体も不透明になります。この局面に必要なのは、環境変化を察知し、資源を再構成する能力です。

このように、環境変化に合わせて柔軟に組織のケイパビリティを変化させる方法論をダイナミック・ケイパビリティと言います。

この局面のピープルアナリティクスは、「どんな能力を持つ人材がどこにいるか」という問いではなく、「組織がどう変化に適応できるか」という問いに向かうはずです。スキルの多様性や部門横断活動の状況把握、社内外の人材流動性などに関心が向かうでしょう。

また、組織全体の学習速度を把握し加速させるために、全社の組織開発の支援を行いながら、アジリティと組織コミットメントのバランスを取ることも求められるはずです。かなり複雑なモニタリングと意思決定が必要になります。

2つのアプローチの関係

ここで重要なのは、上で取り上げたRBVとダイナミック・ケイパビリティはどちらが優れているか選択するような話ではないということです。組織にとって、どちらが今の状況に適しているのかを判断することが問題となるはずです。

したがって、ピープルアナリティクスで取り組む問いも、これら二つの観点が混在する可能性があります。また、組織内に複数の事業体を持つ場合、それらの事業が置かれた状況によって、採るべき人事施策が異なることを意味しています。

このように、経営観点から考えてみると、事業戦略と連動させながら、事業と環境に応じて人的資本を形成することが人的資本経営ではないでしょうか。

第2段階のピープルアナリティクスを回しているということは、事業と人事が連動している状態であり、戦略人事を実現しているといってもよいでしょう。

では、RBVとダイナミック・ケイパビリティの戦略転換をいつ行うのでしょうか。

第3段階|人的資本戦略の転換

第2段階で議論したRBVとダイナミック・ケイパビリティは、どちらか一方に固定されるものではありません。それらは、ビジネスのライフサイクルの変遷とともに、意図的に変化させるものだと私は考えています。

受託SIのビジネスを例に考えてみましょう。私がIT業界に入った2003年ごろは、SIビジネスが成長軌道に突入する直前でした。SIerはSEを増やしながら、受託ビジネスを拡大させていたのです。まさに成長軌道であり、どの大手SIerもカチッとしたSE育成フレームワークを準備していました。これはRBVにおける特殊人的資本の積み上げそのものです。

一方、2010年代後半になると、受託SIの伸びが鈍化してきます。受託SIは国内ビジネスに特化したビジネスモデルであり、人口動態の影響を受けるからです。加えて、モジュール化やアジャイルプロセスの拡大、Web企業・スタートアップのIT内製化指向の影響を受け、ビジネスモデルの勢いが失われていきました。

なお、このときIT市場全体が縮小したわけではありません。クラウドやDXへの需要は拡大し続けましたが、従来型の受託SI、つまり要件定義から開発・運用までを一括請負するビジネスモデルの成長が鈍化したということです。まさに環境が変化したのです。

こうした環境の変化を背景に、気が付けば大手ITベンダー各社の社内教育は様変わりしていきました。これは、特殊人的資本の積み上げから探索フェーズに入ったことを意味しています。つまり、ダイナミック・ケイパビリティのアプローチに切り替わったわけです。

このように、ビジネス環境の変化とともに戦略人事の在り方も変わるのです。

こうした戦略の切り替えや揺り戻しを意識的に設計し、そのタイミングを判断しながら変化を成し遂げることが、第3段階の本質です。

なぜ転換が難しいのか

しかし、この変化は言葉で言うほど簡単ではありません。特殊人的資本を積み上げるほどその事業は強くなるわけですが、それと同時に変化への耐性は失われていくことになります。

事業の拡大と生産性に最適化したプロセスとリソースというのは、現実的なビジネス課題を機能的に解決する道を選びます。そうしないと事業はスケールしないからです。

組織固有の能力が強固になるほど、環境の変化を「技術的課題」として処理しようとし、適応が必要な「適応課題」を見落とす傾向が生まれるといわれています。

これは、成功した企業であるからこそのジレンマと言えるでしょう。その問題の認知・解決ともに非常に複雑です。

転換点の判断が人的資本経営の肝

複雑な状況であったとしても、その転換点を見極めて旗を振ることが経営に求められます。そのタイミングは人事単独で判断できるものではなく、事業の状況、競合や市場環境、組織の学習速度などを総合的に見て判断しなくてはなりません。

したがって、人的資本の転換を判断する場面においては、経営と人事が同じデータを見て、同じ問いに立ち向かうことが求められます。

ここで問われるのは、シンプルながらとても難しい問いです。

組織は今、特殊人的資本を蓄積すべき局面にあるのか。それとも、探索すべき局面に入っているのか。

ピープルアナリティクスの第3段階とは、この問いに経営と人事が共に向き合うための意思決定インフラを担うことです。シグナルを可視化することはその入口に過ぎず、その先にある「転換の判断を共に下すこと」こそが、人事が経営のパートナーになるということの具体的な意味だと私は考えています。

ピープルアナリティクス3段階の構造的整理

最後に、ここまでの議論を整理していきます。

段階 主題 ゴール 意思決定の主体
第1段階 人事の組織開発 人事が変わる 人事部門
第2段階 戦略人事の実現 人事と事業が連動する 人事 × 事業部門
第3段階 人的資本戦略の転換 人事と経営が連動する 人事 × 経営

この3段階に共通する軸は、「分析手法の高度化」ではなく、意思決定の主体が変わっていくことです。人事部門の内部問題から始まり、事業部門との協働へ、そして経営との連動へ——この拡張のプロセスこそが、ピープルアナリティクスの本質的な成熟を意味しています。

また、この変化は一足飛びには実現できません。第1段階の組織学習なしに第2段階の戦略人事は機能せず、第2段階の経験なしに第3段階の転換判断を下すのは難しいはずです。

「データで人事を最適化する」という切り口では、この段階は見えてきません。ピープルアナリティクスとは、人事と経営が組織の未来を共に問い続けるための、知的インフラなのです。

注記

本稿のフレームワークは、筆者の実践的観察と経験をもとに構成したものです。ミンツバーグの戦略スクール論、資源ベース理論(RBV)、ダイナミック・ケイパビリティ論(DC)を参照していますが、学術論文としての厳密な実証を意図するものではありません。ビジネスのライフサイクルとRBV・DCの対応関係については、実証研究では状況依存性が高く、本稿の整理は実践的思考モデルとしての位置づけです。

参考文献

  • 戦略サファリ 第2版,ヘンリー・ミンツバーグ,東洋経済
  • ダイナミック・ケイパビリティの企業理論,D. J. ティース,中央経済社
  • [新版] 企業戦略論 上,ジェイ B. バーニー,ダイヤモンド社
  • 最難関のリーダーシップ,ロナルド・A・ハイフェッツ 他,英治出版
  • 学習する組織,ピーター・M・センゲ,英治出版
  • プロセス・コンサルテーション,E・H・シャイン,白桃書房
  • ピープルアナリティクスの仮説検証サイクル(DDDIサイクル),武田邦敬,People Analytics Idea HUB